新しいチーズ〜マキシマリストへの道〜

新しいチーズは皆さんと一緒につくる集いの場所です! そのチーズは、まだまっきっきです(きれいですよ。ちゃんと磨いています。)。皆で面白いこと、為になること、感動すること、そしてわたしの貯金通帳が潤いそうなこといっぱいいっぱい、そのチーズに入れていきましょう!

新しいチーズは皆さんと一緒につくる集いの場所です! そのチーズは、まだまっきっきです(きれいですよ。ちゃんと磨いています。)。皆で面白いこと、為になること、感動すること、そしてわたしの貯金通帳が潤いそうなこといっぱいいっぱい、そのチーズに入れていきましょう!

あぁ、愛しきひとよ。Oh, I love you.

ああ、愛しきあの人よ。

 

いま、何をあなたはみて、きいて、味わって、おどっていらっしゃるのか

 

それを考えると眠れない。眠れぬ夜を一人、居心地悪う感じます。

 

あなたに触れたく存じ上げます。

 

ただボディと言わず、そのハートなのです。僕、わたくしめが手にしたいのは。

 

心で通じ、逢える?そうでしょう。そうでしょう。一つのピープルピープル間で生まれる関係性の完成形。

 

人の生の喜びを享受するのならば、ならばならば、そこには人しかございません。

 

そういうふうに考えていると今日も夜が明けたわけでございます。

 

あなたは悩ましいお人ですね。罪深いのですよ!

 

 

Oh, that person you love me.

 

What are you looking at now, are you tasting, are you dancing

 

I can not sleep if I think about it. I feel a sleepless night alone, uncomfortable.

 

I want you to touch.

 

It's not just a body but its heart. I, what I want to get.

 

Can you communicate with your heart, can we meet? do not you. do not you. Completion form of the relationship born among one people people.

 

If you enjoy the pleasure of a person's life, then, there are only people there.

 

I am thinking about that kind of situation and the evening has come to a date.

 

You are a troublesome person. It is sinful!

 

英訳 グーグル大先生

 

ロッキー・ザ・ファイナル 視聴


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原題はロッキーバルボアらしい


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ロッキー伝説最終章。

1〜5を見たのでその流れで視聴。

 

まぁ、よかったよね。いい映画だよね。素晴らしいよね。 

 

今作でのロッキーはすでに引退して長く、最愛の妻、エイドリアンを亡くしているところから始まる。

 

飲食店を経営し、エイドリアンの墓参りも欠かさず行っている。

 

ここでこの映画のいいところはエイドリアンの死を描いていないところかな、と思った。

 

劇が始まった時点ですでにエイドリアンは死んでいるのだ。

 

ロッキー前シリーズでのミッキーや、アポロは劇中で死んで、ロッキーを突き動かすきっかけとなる。

 

今回ではエイドリアンもロッキーにボクシングをさせるきっかけとなっているのだろうが、その死に様はみせていない。

 

観客は見たくないのは当然であるのもそうだが、一人残ったロッキーを描写するのに、エイドリアンの死を劇中で描くことはかえって邪魔なのだろう。

 

エイドリアン役のタリア・シャイナはスタローンにワイをだせやと懇願したそうですが叶いませんでした。

 

でも、今回は出なくて正解。エイドリアンを失ってしばらくたったロッキーを描くのに見事に成功しているからね。

 

エイドリアンを亡くしてしばらくたっている上で、ロッキーはやっぱり引きずる、引きずる。

そりゃそうだ。美しい二人の関係だもの。

ここでエイドリアンの死を描いてしまっていたら、ただ、死を乗り切れていない人、となるだけ。この映画でのロッキーはエイドリアンの死を超えた上でやっぱりエイドリアンを忘れられないというのが描けています。

 

亡きエイドリアンを求めて、例のペットショップへ行ったりいろいろするのですよ。まぁ、これがロッキーシリーズを見てた人には来るというわけです。

 

ポーリーが、過去に囚われても何もいいことはないと言いますがやっぱり忘れられないロッキー。

 

でもそのポーリーもその後職を失い、当たり散らします。

 

今回のロッキーは消失なんですね。年を取ると失うものがある、そういう話なんですよ。

 

もちろんロッキーシリーズではなにかしらを失い、それで発起するというパターンは多いです。(ボクシングがハングリースポーツであるから当然なのでしょうかね)

 

でも今回のロッキーはエンターテイメントというより、人類すべてに共通する悩みを問うてくれてるようです。そこが刺さるわけですよ。

 

で、まあ息子の話とか淡い新しいロッキーの恋の話とかも絡んで、現在のヘビー級チャンピオンに挑む、というのが今回のお話です。

 

でもね、勝てるわけないんですよ。息子にも「笑いものにされるだけだ、やめてくれ」といわれるのも当然。劇中でのロッキーは50を過ぎているのです。

 

でも、挑戦するんです。

 

「どれだけこっぴどく打ちのめされようと、
前に進み続けるんだ。その先に勝利がある。」

 

ロッキーの存在により、対人間での自分を見失っている息子とロッキーとの会話での一言一言はしみるものがあります。

 

これ以上は言うことはないです。ただ見てほしい映画です。

 

ぜひ、ロッキー最後のリングをご覧ください。

 

もちろん、もうだいぶ前の映画ですがね

 

 

 

 

平成の終了、またはわくわく12月

ことしも12月がやってまいりました。

 

やってまいりやがりました。

 

そして同時に平成の終わりの時が来ました。

 

私は平成しか知らないつまらない男ですが、平成はそれなりだったとおもいます。はい。

 

そして、そして、それにしても12月です。

 

12月、年末は小さい頃はとっても楽しいイベントでした。

 

クリスマスが近づくにつれ、わくわく、そしてクリスマスが終わってもなお、大晦日までまたわくわく。

 

ただ、正月を迎えてしまうと、わりとあっけなく、あとは右肩下がりを迎えるのみです。

 

しかしそのわくわくも、歳を重ねるたび、薄れてきます。そういうものであり、しょうがないとは分かっています。

 

でも、それでも私はワクワクを失うことはなく、また、なんとか保ち続ける努力をしています。

 

今年の冬はなにか去年とは違うかもしれない、いや違うはずだと、信じて疑いません。

 

そういうワクワクを忘れてしまった、それが最後。人が生まれ持つ一つのカケラが抜け落ち、自分がとてもつまらない存在になり、または大人(なりたくない大人という意です)へのデスロードを歩み始める。

 

そうはなりたくないのです。いえ、ある面では私はなる必要があるのかもしれません。

 

それでも私はまだ12月にわくわくを。

魅力あふれるホラーヒーロー達の世界 その一 ノーマンベイツ

 ホラーヒーローとは、そのホラー映画におけるハイライトを担う最も重要な要であり、こいつによりその映画の面白さが決まると言っても過言でもない。(もっとも、ホラー映画をホラー映画足らしめているものがその演出なのだと言いだしたらあれだが)

 

 よって、ホラーヒーローは見た目や設定面、その動作など、視聴者を怖がらせるように(興味を引くように)工夫が凝らされているのだ。

 

 そのホラーヒーローを紹介していこうというのだが、今回は1回目ということで1960年のヒッチコックによる映画「サイコ」におけるノーマンベイツを紹介しようと思う。

 


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1回目なのでもっと、フレディやらジェイソンやらブギーマンやらをしたらいいのにと思われそうだが、このサイコホラー系のジャンルを生み出したこの映画を無視することはできないのだろう。

 

このサイコという映画はおそらく現代の人が今見たら陳腐な内容と感じられるのだろう。

 

実際、結末などは見慣れていない人でも自然とわかってしまうはずだ。

 

でもそれは、この映画の後、これの模倣作が増えに増えたからという事に過ぎない。

 

この映画はそういうサイコホラーないしはスリラー物の雛形であるのだ。

 

演出などを見ても、シャワー心における迫り来るノーマンとその音楽による不穏感は素晴らしいものであると思う。


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それではノーマンの話だ。

 

ノーマンがホラーヒーローとして輝いているところをいくつかあげていこうか。

 

ノーマンは幼少期のトラウマゆえ、二重人格者(こうやってつかっていいのかはしらん)となり、自分の体に母のマインドを同居させている。

 

見た目は決して派手でないノーマンで、とくにサイコパス的な喋りをするわけではないが、こいうは殺人の際、これといった理由を用意しない。

 

なぜなら殺す時は母親なのだ。母親の精神の時に人を殺す。しかも人を殺している時は女装までしてる。

 

このときの狂気ぶりがたまらなくよい。ママンは生きていると主張するノーマン。でもママンからの嫉妬を受けるノーマン。どうしようもなくなったノーマン。結果、ママンの精神となり笑顔で殺戮に向かうノーマン。よい。

 

犯行が起きるのは自らが経営する、人がほとんどこないモーテルで、趣味は剥製作り。

 

このあたりの設定もこの映画以降で多く用いられている。

 

剥製作りというのはかなりグッとくる設定。鳥の剥製なんか自信有りげに見せられたらちょっちこわくなっちゃうもんね。

 

結論としてノーマンベイツ、やるやつだ。二重人格という王道極まる設定、ママンが乗り移ったときの狂気、人気のない殺人舞台を自ら用意しちゃうところもかなりポイントたかし。

 

まぁそんなかんじでノーマンベイツでした。
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バッチリパキラ録

なかなか久しぶりのパキラ録。

なんと最後に書いたのが7月10日のパッチンパキラ録。

このところ映画感想ブログと化していたところもあり、原点回帰である。

 

このブログを設立した当初の目的は自分の生活のなんでもないことを面白おかしく紹介し、この貧しい社会を生きるなかでの面白みの見出しかたを紹介しよう、とおもっていたのだが、最近はまるでだめだ。私がストレスを解消するだけの場と化していたことにお詫び申し上げたい。

 

さて、パキラである。
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7月ではこうであった。

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たしかに大きくなったとは思われるが時間が空いていたためそりゃそうだと言わざる負えない。


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水やりはかなりサボっているのだが、ちゃんと生きていらっしゃる。

 

やっぱり、観葉植物はちょっと適当くらいが一番ちょうどいいようだ。(冬は不安ではあるけれどね)

 

それではまたの機会。

程度の低い詩

わかい女が駅のベンチでぽろぽろ泣いていた。

 

何も知らないわたしの問いかけはこうだ「なんでないているの」

 

そんなのかんぜん無視。女はわたしを気に掛けることもなくぽろぽろ、ぽろぽろ泣き続く

 

するとすると、なんだかわたし、腹が立ってきたのよね

 

女が泣くときは男に話しかけてもらいたいからと、そう思っていたもの

 

わたしは気づくと、がんめんぱんち!女に向かい、がんめんぱんち!

 

女はびっくり仰天、すぐに泣くのはしまいにして、ぎゃーぎゃー叫んでどこかへ飛ぶ

 

この瞬間から私の存在は女にとって取るに足らない存在から一歩、変化できたらしい!

 

なんでもない休日の午後のお話である